#38 検潮所と験潮場と験潮所、どれがホント?
Q38.
A38.
たしかに日本には「検潮所」も「験潮場」も「験潮所」もあります。よく似た名前ですね。名前が違うのだから何かが違うのでしょうね。では、いったいどこが違うのでしょうか。
実は、これらはみんな同じような施設です。ただ、それぞれ異なる目的のためにつくられたため、別々の名前がついているのです。小学校に入る前の子どもの学校である幼稚園と、両親がはたらいているの子どもの世話をする保育園みたいなものでしょうか。
さて、まず検潮所。これは、津波や高潮などの調査のために気象庁がつくったものです。気象庁は、各種の気象観測や地震観測を行ない、天気予報を出したり、気象災害や地震災害を予防するために警報を出したりしているところです。検潮所は、津波や高波災害にそなえて、海面の高さを連続的に観測しています。
つぎに験潮場は国土地理院の施設で、地図の標高の基準になる平均海面、つまりQ&A8と9で説明があったジオイドを決めるために作られた施設です。Q&A18で水準測量を紹介したときに詳しく説明しましたが、日本の標高は東京にある「日本水準原点」と呼ばれる基準点の高さを基準として決めています。そして、この水準原点の高さは、霊岸島で行なわれた観測によって東京湾の平均潮位を0mとして決められています。その後、霊岸島の潮位観測施設は三浦半島の油壷に移され、「日本水準原点」の高さが変化していないかどうかは、毎年、この油壷から水準測量によって確かめられています。
もうひとつは、験潮所。これは、海上保安庁海洋情報部の施設で、船の水路を確保するために潮位を観測する目的でつくられたものです。船が浅い海に来たとき、潮位が下がって船底が海底についてしまっては困ります。そのため、海の地図つまり海図では、干潮を基準に海の深さが記されていますが、この基準を決めるための施設として験潮所があります。
このように、それぞれの目的は異なっていますが、どれも海岸で海面の高さを連続的に記録するための施設です。
海面の高さを測る方法はいくつかありますが、これらの施設では、一般に海水面と同じ高さの井戸水位を測っています。具体的には、まず海岸に建物を建て、そのなかに井戸を掘ります。そしてその井戸と海とを導水管と呼ばれる管でつなぎ、井戸の中に海水を導き入れ、井戸の水面の高さが海面の高さと同じになるようにします。さらにその水面の高さを測るために浮きを浮かべ、その浮きの動きを連続的に記録します(図38-1)。このようにして、海面の高さの連続記録を得るわけです。
図38-1
海面の高さの変化を求めるには、他に、岸壁に立てた柱の上から超音波を海面に向けて発射し、反射して返ってくるまでの時間を測る方法や、海底に圧力計を置き、水圧を測ることによって水面の高さを求める方法もあり、これらも実際に使用されています。この海底圧力計による方法は、沖合での測定が可能なので、遠地地震の津波にそなえて海岸から遠くはなれたところに設置したり、逆に通常の検潮所では観測できないような大きな津波にそなえて、ふだんは海水が来ないような高いところに設置したりしてあるものもあります。また、もっと単純な方法として、海岸近くの海底に物差しを立てておき、その目盛りを読む方法もあります。
実は日本の標高のもとになっている油壺験潮場には、導水管でつながれた井戸以外に、石の柱で作られたものさしも立っています。ところが、それは海底から立っているのではなく、柱の根元も海面より上に出ています(カラー口絵38)。これでは海面の高さは測れません。なぜこのようなことになっているのでしょうか。それは地殻変動により、この柱が立てられた当時の海底が、海面より上に出てしまったためです。1923(大正12)年9月1日に起こった関東地震のとき、三浦半島の先端の油壺験潮場付近は約1.4m隆起しました。明治時代にこのものさしが設置されたときには、柱の根元は海面がいちばん下がった状態でも、海水面に潜るようになっていたのですが、このときの隆起により、写真のようになってしまったのです。だから、この柱は、関東地震のときの地殻変動による隆起量が、1.4mもあったことを今に伝える証人であるといえます。
カラー口絵38
これらの施設は、もともと海面の高さを測るためにつくられたものですが、油壺験潮場の例にあるように、逆に、海面を基準として陸地の地殻変動を求めることもできます。大地震が起こったときの地殻変動はもちろんのこと、ふだんの地殻変動も検(験)潮所(場)の記録をもとに議論されており、地震予知の重要な資料となっています。